グアム・サイパン太平洋の伝説


酋長「Aghurubw」

 酋長「Aghurubw」 CHIEF AGHURUBW

CHIEF AGHURUBW

 Aghurubwは酋長として公に認められて、伝統的なシンボルも与えられていました。それは立派な杖と、背の高い黒い帽子です。
 Aghurubwはその後も黒い帽子が彼のシンボルとして有名になり、ニックネームは“parung” =帽子と名付けられ親しまれました。

 グアム島では、スペインの総督府に対して、酋長Aghurubwが彼らの人々をサイパン島へ移す許可を聞いている所でした。
 彼の故郷であるサタワル島は、巨大な台風で破壊されて、人々は飢餓に苦しんでいました。やがて政府より許可が下りました。

 アウトリガーは安全に航路を保ち、サイパン迄の何百マイルもの距離も無事に航海できました。
 彼らは岩礁を越えて、穏やかな珊瑚礁の中を航海しました。酋長Aghurubwは仲間の航海士と酋長Nguschulと一緒に航海しました。(酋長Nguschulはelato出身、酋長Aghurubwより人々の記憶には鮮明ではありません。多分、彼がグアム島へ赴かなかった事と帽子を被っていなかった為でしょう。)
 Nguschulは彼が上陸した場所と、その村を“ppiyal Oolang”と名付けました。その意味は“ビーチの景色が広がる空”です。
 ある澄んだ夜空の事、1人がこの波打ち際に立つと、空の端にある北極星から逆の方向に光輝く南十字星まで、全天を司る星をほぼ全て見渡す事が出来ました。Aghurubwはすぐそばに着くと、彼の村arabwalを呼びました。(砂に隠れた朝顔の茎という名前で、実際2つの村が1つに統合されガラパンとして知られていた)

 ここからは丸くて小さくて珊瑚礁に浮かび、波打ち際からほんの数マイル離れた位置にある小島、マニャガハ島(chalaghaal)も望む事が出来ました。
 マニャガハ島は酋長Aghurubwが将来、彼を埋葬する場所として決めた所です。
カロリニアン族の習慣では、亡くなった人間の亡骸をたくさんの良い香りのする花と茎で覆い隠し、それをしっかりと編んだパンダナスの葉のマットに包みます。そして時間を決めて、親族の女達が揃って、崖の突端に亡骸を置き、そのまま海上を漂うように錘を付けます。その後、所有していた財産や衣類などは全て燃やされて、その灰も海へ撒かれるのです。

しかい、骸骨がそのまま霊場に置かれる事もありました。そうする事で、必要な時にいつでも死者の魂が家族達の元に訪れる事が出来ると信じられているからです。
酋長Aghurubwは人々に慕われていました。マニャガハ島は酋長の一番お気に入りの場所でした。彼は亡くなる前に、自分の亡骸を、サイパン島の白い崖と緑の木々が生い茂る高台を一望できるマニャガハ島でも眺めの良い場所へ埋葬する様に話していました。彼の家族は彼の死後、そのリクエストに従いました。
酋長Aghurubwの銅像は、今でも伝統的な冠を被り、帽子と杖を手に持って、マニャガハ島を静かに見守っています。