グアム・サイパン太平洋の伝説


スーサイドクリフ「Suicide Cliff」

 Mariana Islands History

 マリアナの略歴

平和な民族を大航海時代のスペインが支配統治しました。

スペインの統治は1898年にスペインがアメリカとの戦いで敗れた事により終わりを迎えますアメリカ合衆国はスペインにグアム島とフィリピンを要求して、スペインは残ったマリアナ諸島全てをドイツへ売却しました。

ドイツ政府の管理官ゲオルグ フリッツは、新たな経済の道筋を作ろうとしていました。輸出用のコプラの栽培の為に、椰子の木の森が誕生しました。病院と学校も次々に建てられ、道路も舗装されました。
しかし、当初は自然災害によって成功を収める事は出来ませんでした。台風と地震が島を襲い、建物や木々はすべて破壊されてしまったのです。

さらに時代は激変して政治的事変が降りかかりました。ドイツが第一次大戦に敗れたのです。赤道より北にある所有の島々‐マリアナ諸島を含む‐は全て日本へ渡す事になりました。(赤道より南の島々は全てイギリスに渡されました。)
 当時の日本は、経済と農業の拡大を目指していました。マリアナ諸島は次第に巨大なサトウキビ畑と変化していきました。数万人の日本人に加えて、更に数千人もの労働者が沖縄と韓国からサイパンへ移住してきました。

その後、1930年代に入ると日本軍の島への関心が非常に高まり、島への外部からの侵入をするために、島中に要塞を築き始めました。
こうしてほどなく覗き穴の開いたコンクリートの要塞がその姿を太平洋の水平線上にのぞかせるようになりました。再び戦いの火蓋が切って落とされたのです。この戦いは島々の政治的将来を変えるものでした。

太平洋戦争の結末は、1898年にスペインが、1914年にドイツがそうされてきたのと同じ様に、日本政府のマリアナ諸島統治権が失われる結果となりました。

そして今回はアメリカ合衆国にその権利が譲渡されました。